ラジオの書き起こしブログが許せない
聞けば見えてくる。でも、読んでも見えてこないよ
普段ネットを見ていてあまり怒ったりしない私だけど、どうしても許せないものがあって、それがラジオの書き起こし。
ラジオ番組でのトークの一部を切り取って、「こんな話をしていた」って書き起こしているのを見かけると非常に腹が立つ。
ラジオっていうのは、流れっていうものがある。パーソナリティが冒頭にとある話をして、それが後々のコーナーに生かされたり、エンディングにまで引っ張ったり、さらには次週にも再びその話題を蒸し返したり。
だからこそ多くのリスナーは「途中から聴く」ということをしたくないし、できればオープニングから聴いておきたいと思う。そして「毎週聴かなきゃ」という使命感のようなものも生まれる。
一部を聴いただけで、その面白さは本当にはわからない。
例えるなら、ダチョウ倶楽部の上島竜兵が風呂に浸かる瞬間だけを見ても面白くないのと同じ。俺がやるよ、じゃあ俺がやる、どうぞどうぞ、押すなよ押すなよ、絶対に押すなよ……があって面白いわけで、さらに毎回やってるお決まりだというのがあるから面白いのだ。
だからラジオ番組も切り取ってはいけない。せめて書き起こすなら全文書き起こせと言いたい。
もちろんパーソナリティはなるべくどこから聴いても面白いように話してくれてはいるだろうし、途中から聴いても面白いことはいくらでもある。
だけど、その場のテンションが伝わらない形、つまり「文字を書き起こす」ことでは絶対に面白さは伝わらない。だからやっぱり全文書き起こしもダメ!訂正。ラジオは書き起こすな!
ラジオへの冒涜だ。
文字起こしには甘い世界
小説を書き起こしてブログに載せる。引用の範囲を越えれば、これは著作権の侵害として糾弾されるだろう。
テレビ番組を録画して勝手にYouTubeにアップする。これも違法だ。ラジオ番組だって録音してアップはダメ。
でも、ラジオ番組の内容を文字起こしすることに対して、文句を言う人は少ない。音声から文字への変換。次元が下がることには抵抗が薄れるのだろうか。
私は法律のことはよくわからないけど、個人的には本当はこれが一番「悪」なのではないかと思う。
だって、文字起こしという行為は、本来のものを、本来のものとは違った形で、それがあたかも本来のものであるかのように伝える行為。
ラーメン屋さんが秘伝のスープを盗まれてそれをそのまま丸パクリされて他店で出されたら許せないだろうけど、むしろ見た目はまったく同じでもちょっと素材を変えて出される方がもっと許せないのではないだろうか。そこは普通の昆布じゃない。利尻昆布使ってるんだよ!みたいに。
何より今はラジコがあるじゃないか。仮に聴き逃しても、一週間前までの内容ならタイムフリー機能で聴くことができる。わざわざ書き起こす必要なんてまったくない。
いやいやなんらかの理由で聴けなかったり、耳の不自由な方のためだというかもしれない。それは仕方ない。ただ、それはむしろラジオ局なり出版社なりが「読む用」として「編集」すべきだ。逆に全文書き起こすことが正しくない気がする。
忙しい世の中。みんな情報の一部を、気軽に、ダダで手に入れることが当たり前になって、それはそれで良いことだったりもするのだけど、そういうことではきちんと面白さが伝わらないものだってある。ラジオはその典型だ。
ラジオはちゃんと聴け!
よくよく考えるとテレビだって映画だって同じような勝手な書き起こしが氾濫していると言えるのだろうけど、それについての怒りは他の誰かにお任せしたい。私は別にモラルについて語りたい正義感の強いわけではないので。私は世の中を良くしたいからこうしたことを書くような高尚な人間ではない。
ただ単に自分がラジオが好きだから叫んでいるにすぎない。ラジオを愛している。だからラジオの面白さを踏み躙るのが許せない。聞けば見えてくる。読んでも見えてこないよ。こんな自分勝手な意見だから説得力がないのもわかっている。でも、言いたい。
ラジオはちゃんと聴け!
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