いまだに「ボスジャン」を着ているオジサンこそミニマリストの原点である
モノが捨てられないのか、良いモノだけを使っているのか?
ミニマリストの定義はたくさんあって正解が決まっているわけではないようですが、大きなテーマとして「不要なモノは捨てる。不要なモノは持たない」と、「良いモノ、上質なモノを大切にする」の2つがあると思います。
ただ単にケチなだけではミニマリストとは呼ばれないだろうし、お金をかけて上質なモノを買い漁るのも違う。
では、街でたまーに見かける「ボスジャン」をいまだに着ているオジサンは、どうなのか?
ボスジャン! ジャーーーーーン!!
もしかしたら今の若者たちは知らないかもしれないので、一応、説明しておくと、ボスジャンとは、過去何度かにわたってサントリーの缶コーヒーBOSSが、キャンペーンとしてプレゼントしていたジャンパーである。(もしかしたら今の若者たちは知らないかもしれないので、一応、説明しておくと、ジャンパーとはジャケット、アウター、ブルゾンのことである)。
最近でもスマップが出演してキャンペーンしていたから、みんな意外と知ってるか。
ボスジャンは毎回、スタジャン風とか本皮仕様など様々なデザインでキャンペーンを展開していたのですが、当選数が2000人くらいと少なく、過去何度やったかはわからないですが、日本でボスジャンを持っているのは1万〜2万人くらい(?)なはずで、決してお金を出せば買えるものではないプレミアアイテム。
そう、ボスジャンは「缶コーヒーを飲みながら一生懸命に働くサラリーマンの象徴」であり、「そんな男たちの中でも、選りすぐりの“幸運”を持っていることの証明」だったのです。世のオジサマにとってボスジャンは憧れの存在でした(たぶん!)
ボスジャンが当たったオジサンは1着しかジャンパーを持たない
そんなボスジャンを着ているオジサンをたまーに街で見かけることがあります。使い倒しているのか、けっこうボロボロ。人によっては10年以上、今でも大事に使い続けている。そんな彼らはミニマリストなのでしょうか。ただ、捨てられないだけ?上質なものを使っているだけ?
私は彼らこそミニマリストの原点なのではないかと思っているのです。だって、10年以上にわたって新しいジャケットなどは買わない人たち。きっと他にも無駄な買い物はせず、良いものだけを使い続けているはず。
ミニマリストたちが愛読するこんな本がありますが、
同じように、「ボスジャンが当たったオジサンは1着しかジャンパーを持たない」と思うのです。
実は私の父親、ボスジャニストでした!しかし…
…と、くどくどとボスジャンについて書いてきましたが、その理由は、何を隠そう私の父親が過去にボスジャンを当てているのです!!
送られてきたときは、もう家族みんなで狂喜乱舞でした。父親は誇らしげにボスジャンに袖を通して、近所のスーパーに行く際も、新宿に映画を観に行く際も、旅行のときでさえ、常に背中にはパイプをくわえたニヒルな男。正直、私を含めて家族みんなは途中から「ダサっ!」と冷めた目で見ていたのも事実なのですが。
とはいえ、ボスジャンを当てた幸運な男としての父親は少しだけ誇らしかったのも確かでした。くたびれた背広を着たサラリーマンとは違った父親が、ボスジャンとともにそこにいました。本当に嬉しかったんだろうなー。
で、先日、ひさしぶりに父親に電話してボスジャンについて、まだ着ているのか、聞いてみました。すると…
「え、ボスジャン? とっくに捨てちゃったよ。もう古かったし。もしかして、ほしかった?」
あんなに大事にしていたボスジャンをあっさり捨てる男。それが私の父。
たとえ上質なものでも、不要と感じたらあっさり捨てる。もしかすると私の父親こそが究極のミニマリストなのかもしれません。