意識低い式

テキトーに楽しく生きる、それでいいのだ

キンコン西野を怒れる人守れる人に私はなりたい

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なんでそこまで知らない人に熱くなれるのか?

こういうことが起きるといつも思う。

自分とは全く関係ない人の言動になんでこんなに熱くなれるのかと。

怒る人も擁護する人もまったく理解できない。

もしもキンコン西野が私が友達や知り合いだとしたらもちろん怒ったり擁護したりそういう気持ちになるのだろうけど、どうしてみんなはそこまで熱を持って今回の件を考えることができるのだろう。

ましてや好きでも嫌いでもない、自分の人生とはおそらく1ミリも関係ない人間に対して。

そういう人たちを軽蔑してるわけじゃない。

正直うらやましい。

私はたぶん損得でしか動けないダメな人間なのだ

自分に利益にも不利益にもならないことに対してまったく興味がわかない。

芸能人のだれかが不倫しようが「どうせみんなやってるんでしょ」「別に本人たち同士で好き勝手やればいいじゃん」とまったく糾弾しようと思わない。

逆にスポーツ選手が金メダルを獲ったところで感動することもない。もちろん、野球を観に行ってホームランを打ってるシーンを見れば、すごいと思う。

でも、それは私が主役なのだ。私がホームランを見ているから感動をおぼえるのだ。自分のために感動しているのだと思う。

思えば、私は誰かを本気で応援したことがないのかもしれない。

好きな歌手はいるし、好きな作家もいる。でも、それが好きなのは私がその歌手の歌が好きだったり、その作家の本が好きだったり、つまりは自分にプラスの時間を与えてくれるからであって、別にその人の人間性なんてどーでもいい。

だから自分が好きなアーティストが金に汚いやつだろうと殺人鬼だろうとワキガだろうとまったくどうでもいい。作品が面白ければいい。つまらなければ聴かないし読まないだけ。

自分に損得がないと動けない。

もっと理解できないのは一般人ブログの炎上で、よく顔も名前も知らないような人に対して真剣に怒れるなぁと尊敬する。

その人たちも自分ごとなのだろうか。

理解できないだけに、そろそろ理解したくなってきた。

こうした騒ぎにすっと入っていけない私は、お祭りがあるのにただ通り過ぎてしまうように、人生の何かを損しているのではないか。

ダメだ、また損得で考えてしまっている。

もっと感情で動かないと。怒りや優しさ、理由なんて考えてはいけない。

いつかはキンコン西野を怒れる人守れる人に私はなりたい。

えんとつ町のプペル

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